03.まだまだ続くよどこまでも


 二月一日はまだまだ続く。夜空の下の説教もまだまだ続いていた。
 そんな彼らを余所に、遠坂凛と衛宮士郎は寒さをしのいで疲れを癒すため、屋敷の中へと入っていった。珍しい和風建築の家を案内されながら、凛は軽くなった脚を進めていく。しかし、衛宮家の居間へと案内された彼女が見た景色はまたまた予想外のものであり、彼女の気分を重くするには十分のものだった。
 和室にまるで似合わない金髪の外人が二人。一人は目の前に積まれた団子を凄まじい勢いで食べ、もう一人はその横で鼻血を出しながら倒れている。
「……もう驚かないわよ」
「ああ、そういえば忘れてた。紹介するよ。俺のサーヴァントのセイバーと、幼馴染のアホだ」
「偉大なる英雄王ギルガメッシュ様」
「……幼馴染の、偉大なる英雄王ギルガメッシュ様だ」
 最強のサーヴァントである彼は、何があろうとも自分の話題を逃さない。いつの間にか瀕死から立ち直り、満足そうに腹をさすっているセイバーを眺めていた。
「……というか、衛宮くんってマスターだったの?」
「気付いてなかったのか? 令呪が反応してただろ」
「つい、うっかり」
 流石である。今もなお引き継がれる遠坂最強の遺産は、伊達じゃない。
「……ま、いっか。とりあえず、今は休憩したいから」
 凛は厄介事の全てを未来の自分に丸投げし、座布団の上に腰かける。腕を伸ばして体を休めるその姿には、最早才女の欠片一つ存在しない。猫を被ることですら、彼女は面倒になっていた。ちなみに、そんな彼女の家の家訓は「どんな時でも余裕を持って優雅たれ」である。
「ん、そこな雑種は時臣の娘ではないか?」
 ギルガメッシュが目の前に座った凛を見て問いかける。というのもこの男、実は前回の聖杯戦争で遠坂時臣によって召喚されたサーヴァントなのであった。偉大なる英雄王の優れた眼力は、姿を見るだけでその祖となる系譜を丸裸にした。懐かしき者の匂いを感じ、気まぐれにギルガメッシュは問うたのであった。しかし、今の凛にその名を出すことは、失言に他ならない。
「――次にその名前出したら、あんたのそのキレイな顔、殴っ血KILLわよ?」
 気がつけば、ギルガメッシュは胸倉を掴まれ、畳の上に押し付けられていた。最速のサーヴァントであるランサーをも超えるかような速度。その動きは、英雄王アイですら看破できない。そう、彼の目の前には文字通りあくまがいた。血のように赤いその姿には戦慄しか覚えない。ギルガメッシュは、恐怖に染まった顔を高速で上下に動かす。肯定が遅れるだけ、死に近づいている気がしてならなかった。理不尽にキレた人間ほど怖いものはないのである。でも、自分が一体何をしたというのだ、とギルガメッシュは思う。
 そのやり取りを見て、彼らは知り合いだったのか、というわかっているようでわかっていない結論に達する士郎。
「とにかく、遠坂はアーチャーのマスターだけど今は敵じゃないからよろしく、二人とも。――ほら、遠坂も落ち着けって。とりあえずほうじ茶とお茶請け用意してくるから」
「あら、ありがとう。期待して待ってるわ」
 士郎に体を起こされながら、ギルガメッシュは女の変わり身の速さに内心恐ろしく思った。いつの時代も女の恐ろしさは変わらぬぞ、エンキドゥ。
 その間、騎士王と呼ばれていたた少女は一心不乱に団子を食べていた。既に半数以上が減っており、積まれていた元の姿は見る影もない。その速度は、やはり英雄王アイでも看破できない。
 ……二〇……一五……一〇。
 ギルガメッシュが宝物庫から差し出した特製団子はセイバー一人の手によって、見るも無残に屠られていく。まさにその姿は一騎当千。ついに、彼女の目の前にあった皿は空となる。全ての敵を倒したことに満足して、セイバーはようやく顔を上げた。
「ふう。ひとまずこの団子で我慢しておきますが――」
「我を愚弄するな。明日にはおまえの目の前に冬季限定白熊団子を積んでやろう」
 お互いに不敵な笑みを浮かべつつ、彼らの打算的な付き合いはまだまだ続いていく。
 そんな出来事の背景で、士郎は全員分のお茶を注ぎ、居間のテーブルに並べていた。凛は待っていましたとばかりに湯呑を手に取り、熱々のほうじ茶を味わう。
「おや、マスターではないですか?」
 お腹一杯になったことで意識が現実に戻ったのか、召喚された時のような凛とした表情でセイバーは己が主を見る。どうやら士郎がこの部屋に入ってきたことすら、気付いていなかったようであった。
 そして、彼の隣にいる者を見た瞬間、
「マスター、敵です――!」
 誰もが予想しなかった反応を、彼女はした。
 一瞬で白銀の鎧を武装すると、テーブルに乗っかり二人の間に割って入る。奇跡的にテーブルの上の茶は無事である。セイバーの右手には、知らずの内に宝具が握られていた。凛が目を見開けている間に、剣の先端は彼女の首先に押し付けられる。
「貴様、聖杯戦争のマスターだな。どのようなつもりで我が主に近づいた」
 余りにも、想定外の詰問。
「……」
「……」
「……」
 凛の首から、うっすらと血が垂れる。あと一センチメートルでも食い込めば、畳の上には鮮血が降り注がれることになるだろう。
 しかし、そんな状況に追い込まれている凛本人は、ただただ茫然とするしかなかった。彼女のとてつもない勘違いっぷりに居間にいた三人は何も言えないでいる。先程、説明されていたではないか。流石のギルガメッシュも、これには吃驚である。空気の読めない子、セイバー。
「サーヴァントを釣れなければ、未熟である我がマスターに対して偽装できると踏んだのだろうが、私の眼は欺けない。――メイガスよ。その目的を、答えてもらおう」
「……」
「……」
「……」
 いまさら何を言っているんだ、とばかりに三者はセイバーに呆れる。
「……答えぬか。いいだろう。ならば、その身を聖剣の錆としてくれる!」
 しかし、その言葉と共にセイバーが風王結界を開放し始めたことによって、更に面倒くさい事態に発展していった。荒れ狂う居間。吹き飛ぶ凛。流石にお茶も吹き飛んでいる。少し前の焼き直しのような光景だ。そもそも、この場で聖剣の姿を顕現させることに、何の意味があるというのだ。
 そろそろ本気でまずいことに気付いたのか、士郎はギルガメッシュの姿を探す。揉め事を回避させるのも正義の味方の仕事である。彼の英雄王は暴風になどびくともせず、一心に立っていた。風に煽られる己に浸っているらしい。
「ギルガメッシュ」
「わかっておる。我のターンだ」
 抜け目のない英雄王。セイバーの点数稼ぎ時はやってくれる男である。問題の解決も、少し前の焼き直しだった。別の限定菓子をセイバーの贈呈することによって、この問題は決着がついたのである。


「マスターの学友というのであれば、最初から説明してほしかったです」
 江戸前屋のどら焼きを食べながら、不貞腐れたようにセイバーは不満を口にした。
「……」
「……」
「……」
 集まる視線。
「何ですか?」
「……いや、悪かった。次から気を付ける」
 何とか先程の騒ぎも治まり、衛宮邸の居間は深夜のティータイムとなっていた。テーブルの上にはほうじ茶の入った急須と湯呑、そして人数分のどら焼きが置かれている。当然、ほうじ茶はわざわざ淹れ直した。
「――それよりも、マスター。風王結界を開放したからか、お腹が空きました」
 どら焼きを一つ食べ終わってから言う言葉ではなかった。だが、彼女の理屈ではどこにも可笑しなところはない。セイバーは、戦時における空腹の状態がいかに危険かということを大いに語る。士郎と凛はようやく気付いた。このサーヴァントを喋らせては、全く話が進まない。
「あーはいはい。じゃあこれやるよ」
「なっ、良いのですかマスター」
「良いよ。あと、俺の名前は衛宮士郎だ。マスターじゃない。士郎って呼んでくれ」
「はい。感謝します、シロウ」
 溢れんばかりの笑顔のセイバー。こうして見るとただの途轍もない美人なんだけどなあと思いながら、士郎は嬉しそうにどら焼きを手に取ったセイバーを眺める。だが、その思いはただの幻想に過ぎなかった。セイバーは凄い形相で、どら焼きに貪りつく。テーブルには、どら焼きの食いカスがぼろぼろとこぼれ落ちていく。士郎は見なかったことにした。
 それから、まだ食べ物を要求しそうなセイバーをギルガメッシュに任せ、士郎と凛はマスターという立場での雑談を始めた。いい加減、現実を見なければならないことに気が付いたらしい。
「遠坂はなんで聖杯が欲しいんだ?」
「最初は、お金の為だったかな」
「お金って、聖杯に頼むのか?」
「は? 何言ってるのよ。そんな方法で金銭作ったら犯罪もいいところでしょ」
「じゃあ、金の為ってどういうことなんだ?」
「だから、聖杯を協会か教会に売るつけるつもりだったのよ」
 当たり前のようにそう答える凛。その発想はなかった、と士郎は思った。願望器を手に入れた人間のどれほどが、売り払うという考えに至れるだろうか。
 しかし、その考えを打ち消すかのように、憂いを帯びた表情で凛は呟いた。「――まあ、今は違うんだけど」視線を士郎からずらすと、凛はまだ湯気の上がっているほうじ茶を手に取り、口に含んだ。
「なんでさ?」士郎も湯呑を手に取る。
「ちょっと今すぐ会いたい人ができちゃってね。その人に会うために必要なのよ」
「それは、聖杯じゃないと無理なのか?」
「私が生きている内に、辿り着けば会えるのかも。でも、今すぐは聖杯じゃないと無理」
 遠い眼をしながら、凛は答える。当然のことながら彼女が会いたい人間というのは遠坂時臣であり、その理由は殴っ血KILLためである。思えば、くだらない願いに行き着いたものだと彼女は自分に感心する。
「わたしのことはいいでしょ。それより、衛宮くんこそどんな願いを叶えたいの?」
「別に、聖杯に祈るような願いなんてないぞ。俺は終わらせるために聖杯戦争を参加したんだ」
「終わらせる……勝ち残るってこと?」
「ああ。正義の味方になるには、聖杯戦争みたいなイベントに出て勝利するのは必須だろ?」
「何それ。馬鹿じゃないの、衛宮くん?」
 凛は呆れたように、思いを口にする。余りに愚直な物言いに士郎は仏頂面になるものの、化けの皮が剥がれた状態の凛相手では悔しくも何ともなかった。納得はできなかったが。
「まあとりあえず、衛宮くんは聖杯いらないんだ」
「ああ。そんなものには興味ない」
「……なら、共闘しない? わたしは最終的に聖杯が手に入ればいいの。聖杯がいらない衛宮くんとは対立するだけ無駄でしょ?」
「確かにな。俺は最後まで勝ち残るのが目的だし」
「わたしは、衛宮くんが勝ち抜くをを助けて、それで勝者となった衛宮くんがわたしに聖杯を渡す」
 魔術師における等価交換の原則である。
「俺は構わないぞ。遠坂と協力でくるなら、それだけで百人力だ。……でも、セイバーにも相談しとかないと」
「むしろ、無視しておいた方がいいんじゃない?」
「――だよな。それじゃあよろしく、遠坂」
 士郎と凛はお互いの手を握る。交わされた視線の奥では、聖杯戦争に対しての怒りと不安が見え隠れしていた。
 こうして、それぞれのサーヴァントの知らぬところで、一つの同盟が結成されたのであった。


 現在、深夜一時過ぎ。
 未遠川によって二分された冬木市を繋ぐ大橋の上に、六人の人影があった。聖杯戦争のマスターである、衛宮士郎と遠坂凛。そして、そのサーヴァントであるセイバーとアーチャー。最後の二人が、前回の聖杯戦争からのゲストである、家主の衛宮切嗣とギルガメッシュであった。彼らは思い思いの表情で、新都へ向かって歩いている。
 その際、霊体になれないセイバーの格好が問題になったが、またまた自分の出番だということを嗅ぎ取った英雄王によっと事なきを得た。こんなこともあろうかと、彼の宝物庫にはセイバー用の衣装が保管されていたのである。珍しく装飾華美なものではなく、セイバーの好みにあった落ち着いた服装であった。近所の子供たちに付けられたギルえもんの二つ名は、伊達ではない。
 そんな前を歩く金髪二人の姿を見つつ、士郎は堪らず愚痴をこぼした。
「なあ、本当に教会行くのか?」
「わたしも付き合ってあげてるんだから、我慢しなさい。そもそも、文句ならあの金ピカに言いなさいよ」
 ことの発端は、ギルガメッシュにあった。
 場の空気が解散に近づいたことに気づくや否や、ギルガメッシュは士郎と凛に教会へ行くことを命じた。断りを入れれば、言峰綺礼に監督役権限を使わせて二人を失格にさせるとのことである。このような戯言を本気でやるのがギルガメッシュであることを幼馴染の士郎は知っていたし、凛もこの一時間の付き合いで把握していた。彼らはしぶしぶ、その我がままに付き合うことにしたのである。
 大方、一人で新都まで帰るのが寂しくなったんだろうと、士郎は当たりを付ける。真実、それは正解であった。教会までの道のりは長く、暗い。この時間に一人で墓地の横を通ることは、ギルガメッシュにとって苦行に他ならない。
「それにしても意外ね。衛宮くんも綺礼のこと知ってたなんて」
「俺にしてみれば、あいつと遠坂が兄弟弟子っていう方が意外だけどな」
「親の交友関係は子供には断ち切れないものよ」
 言外に望んだ付き合いではないことを込め、凛は苦笑する。
「そういえば衛宮くんって魔術師なのよね」
「まあ一応」
「つまり、あなたのお父さんも魔術師になるのよね」
「そうだけど、どうかしたのか?」
「…………」
「もしかして、知らなかったのか? でも、遠坂の家って冬木のセカンドオーナーなんだろ? 親父はちゃんと申請だしたって言ってたぞ」
「そういえば、十年くらい前に父さんからそんなこと言われたような気がしないでもないけど――」
 綻びの入った記憶を掘り返しながら、凛は自信なさげに答える。
「……忘れてたのか」
「つい、うっかり」
 流石である。
「親父は、前回の聖杯戦争のマスターだったらしい。その後、冬木に移り住んだんだ」
「じゃあ、わたしの父さんや綺礼も知ってるんだ」
「遠坂の親父さんはわからないけど、切嗣とあのクソ神父は腐れ縁だよ」
「あ、やっぱり衛宮くんも苦手なんだ、綺礼」
「苦手というか、あいつは敵だ」
 士郎と凛は、そんな話題で盛り上がる。人間、共通の嫌いな人間についての話題は口が進もものである。
 そんな二人を眺めているのが、最後尾を歩く衛宮切嗣とアーチャーであった。片方は微笑ましそうに、もう片方は忌々しげに彼らのやり取りを見守っている。本来ならば霊体化すべきであるアーチャーだが、切嗣の寂しそうな視線によって、しぶしぶ実体化を続けていた。ちなみに、彼の着ている服は、ギルガメッシュではなく切嗣のものである。英雄王の財には庶民のセンスで着れる服が存在しなかった。
「ふんふん……あの二人、仲良いじゃないか。どう思う、士郎?」
「……私に訊かないでくれ」
「またそういうこと言って。実際、士郎の時はどうだったの?」
「……別に、そういうことはなかった」
「あ、そうなんだ。じゃあ、士郎は誰と良い仲だったの?」
「…………」
「え、もしかして童貞?」
「ど、ど、ど、ど、童貞ちゃうわ!」 
 彼の名誉の為に述べておくが、真実アーチャーが童貞だったかは定かではない。ないったらないのである。
 さて、六人は橋を渡りきり、街の郊外へと向かっていく。なだらかな坂を登って行き、視界に入ってきた丘の上の教会を目指していく。その途中、外人墓地を通り過ぎる。ギルガメッシュはさりげなく墓地から目を逸らしていた。英雄王アイは要らぬモノまで見えてしまうこともあるのである。
 ちなみに、先程からずっと静かなセイバーは一心不乱に棒付き飴を舐めていた。いまだ四個目である。セイバーを黙らすには、攻略に時間のかかる食べ物が良いということに気付いた士郎の、スーパーファインプレイだった。反対に、ギルガメッシュは無視するだけで良いので、全くもって楽なものである。
 そうして、一向はようやく目的地である丘の上の教会に辿り着いた。
「言峰、帰ったぞ」
 ギルガメッシュが扉を開く。ギギ、と軋ませながら、扉は重たく道を開けていく。夜の暗さを照らすように、礼拝堂の中から光が漏れてくる。一同は思わず目を瞑り、一瞬の後、恐る恐ると己の瞼を開ける。
 そして、そこで彼らを待ち受けていたのは、
「――」
「――」
「――」
「――」
「――」
「――こくこくはむはむ」
 顔を赤めながら崩れる男装の麗人と気味の悪い笑顔で人の闇を謳う神父、という世にも奇妙な組み合わせであった。


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