02.なんだかんだで召喚です


 さてさて数日前の懸想も意味無く、まるで運命とでもいうかのように、衛宮士郎の左手甲には令呪の兆しが現れていた。養父がいうには、サーヴァントを召喚するとミミズ腫れのような聖痕は血のように赤い令呪へと変化するらしい。その内、竜の騎士の真似事でもやってみようと、士郎は内心で夢見ている。
「……で、なんでおまえがいるんだよ、ギルガメッシュ?」
 現在、衛宮邸土蔵。その中には、魔法陣の外に立つ士郎とその姿を少し離れたところで見守る切嗣、そして何故か、気合いの入っている金髪の外人の姿がある。
 その名をギルガメッシュ。
 この人類最古の英雄王は、かつての聖杯戦争で言峰のサーヴァントとして召喚された。十年前に行われた聖杯戦争で、ギルガメッシュは聖杯の泥を浴びた。その存在の強さから魂への汚染を防ぐことは出来たのだが、うっかり防ぎ忘れた一部の泥が、何とも可哀想なことに彼の頭脳を汚染したのだ。
 そして、それから十年。受肉し現代に残ったギルガメッシュは、気ままにのんびりと生きてきた。余りの気ままさに、たまに若返ったりする始末である。
 切嗣と綺礼の付き合いからギルガメッシュとの関係も古く、士郎の知人の中では一、二を争うほど付き合いが長い。竜の騎士ごっこをする時はギルガメッシュに大魔王役をやってもらおうと考えるくらい、親しい仲なのだ。いわゆる幼馴染である。もう一度言おう。いわゆる幼馴染である!
「黙れ。おまえはただセイバーを召喚すれば良い」 
 その言葉を当然の如く聞き流し、非難の目で切嗣を睨みつける。息子の視線に気付いた切嗣は、愛想笑いをしながら言い訳して誤魔化しにかかる。
「いや、今日言峰と電話しててね。士郎に令呪の痕が出たから今夜にでもサーヴァントを召喚するよって言ったら、どうもギルガメッシュがそれを知っちゃったみたいで」
 フン、と鼻を鳴らすギルガメッシュ。「我は何でも知っている」もう一度、フン、と鼻を鳴らすギルガメッシュ。
 傍から見てもわかるくらい、彼はいつも以上に浮かれていた。気合を入れて髪の毛を全て逆立たせているのが、その良い証拠だ。服装もいつものジャージではなく、ジャージのようなライダースーツに変更されていた。
「……大体、セイバーって人にはもう振られてるんだろ? いい加減諦めろよ」
「は、王たる者の辞書に諦めという言葉など存在せぬわ」
 こういう奴がストーカーになっていくんだなと思いながら、士郎はギルガメッシュを哀れみつつ眺めた。
 切嗣は楽しそうにそのやり取りを見ていたが、時計の鐘がなったところで士郎を召喚陣の中心に立たせる。
「まあ、士郎は召喚することに集中してればいいから。ほら、ギルガメッシュも下がって下がって」
「フン」
 今日何度目かの鼻鳴らしをし、ギルガメッシュはその場から一歩前に進む。これが英雄王クオリティ。
 相も変わらず天邪鬼な彼は放っておこうと切嗣と共にに頷きながら、士郎は緊張した面で円の中に足を踏み入れる。そして切嗣が陣から離れたことを確認すると、士郎は魔術回路を起動させる。閉じる視界。自然と消え去った景色を胸に、士郎はいつもと変わらぬ音で、いつもと違った意味の呪文を唱え始めた。
「――召喚、開始(トレース・オン)」
 そうして、衛宮家の土蔵からカッ! という大きな音が鳴り響いたのは、一月最終日の深夜――正確には、二月一日の午前零時過ぎのことであった。切嗣から教わった呪文全てを詠唱し終えたところで、月光のように眩い光を放ちながら、士郎の眼前に降臨したのだ。金砂のような髪を持つ、銀の鎧に身を包んだ、凛々しい少女が。
 月の光に濡れながら降臨したサーヴァントは、自身の主となるべき男を見据える。
「――問おう。貴方が、私のマスターか」
 闇を弾く声で、彼女は告げた。
「――これより我が剣は貴方と共にあり、貴方の運命は私と共にある。――ここに、契約は完了すた」
 そして、噛んだ。
「……」
「……」
「……」
 とまあ、そこはかとなく運命を思わせるような出会いは、当然のように台無しになった。世界の修正とでもいうべきか。「シリアスって何、美味しいの?」とばかりに、場の雰囲気から重さが抜けていく。セイバーは、主の視線から逃れるように背を向ける。
「――っ! あ、貴方は!」
 ところがどっこい。
 彼女の目に入ってきた風景は、恥辱の心を消し飛ばすほどのものだった。視線の先には二人の男、衛宮切嗣とギルガメッシュが呆けたように立っている。
 だが、それも一瞬のこと。ギルガメッシュは持ち前の偉大さを発揮しつつ、整った顔を艶かしく歪める。ようやく思い人に再会できたのである。期待を胸に、口を開く。
「フ、久しぶりだなセイバーよ。忘れたとは言わせ――」
「衛宮切嗣っ……! 忘れたとは言わせません――冬季限定白熊団子の敵!」
「……忘れたとは言わないさ」
「……どういうことだよ、切嗣?」
 内心面倒くさがりながらも、表向きは神妙な表情で答える切嗣。ギルガメッシュは涙目になっていた。士郎は幼馴染を堂々と無視しつつ、養父を伺う。
「マスター。貴方と彼がどういう関係か知りませんが、この男は即刻に排除すべき存在だ。そうでもしなければ、私たちは敗北してしまいます」
「なんでさ?」
 何かまたシリアスな空気になってきたなあ、と思いながら、士郎は問う。それから、これが終わったら江戸前屋のどら焼きでも食べようと、心に決める。流石に疲れた。今日くらいは自分を労わっても良いだろう。
「あれは、前回の聖杯戦争のことです。最終戦を前にして、私と切嗣は聖杯の出現を目の当たりにしました。だというのに……」
 唇を噛みながら、セイバーは右手を震わせ、風を巻き起こし始める。微風はやがて大嵐へと至り、先日掃除したばかりの土蔵の中をボロボロにしていった。前言撤回である。ある意味、至って平和な空気だった。
「爺さん、何なんだよあの人!」
 修理中のガラクタまでもが破壊され、憤慨する士郎。
 言われた本人はいつの間にか庭に退出しており、外から荒れ狂う部屋の内をそうっと覗いていた。しかし、誰がどう見ても目は泳いでいる。
「――ピュ、ピピュー」
 終いには下手糞な口笛まで聞こえてくる始末である。
 さて、その頃。土蔵は更に酷い状態になっていた。暴風は成長を止まったものの、あろうことか今度は黄金の輝きが発せられ始めている。こんな騒々しい事態に喜ぶ者など、台風大好きギルガメッシュくらいだろう。それか、黄金大好きギルガメッシュくらいに違いない。そして事実、セイバーの剣が生み出した現象は、ギルガメッシュを恍惚とさせていた。
 その間にも、セイバーの口上は続く。
「……だというのに! 彼は、あろうことか私達が求めて止まなかった聖杯の破壊を命令したのです。――それも、私の冬期限定白熊団子を人質にとって」
 団子を人質にとるという、意味不明なことを言うセイバー。だが、その気迫には余りに凄まじく、士郎やギルガメッシュは勿論のこと、それに当事者である切嗣でさえ口を挟めない。
「貴様ら、王を前にして――」
 いや、ギルガメッシュは口を挟んでいるものの、無視されているだけであった。
「わかりますかマスター、この途轍も無い非道さが! 彼は、このような手段で聖杯戦争を勝ち抜いていき、ついには自身のサーヴァントである私をも裏切った!」
 顕現させた聖剣を切嗣に向ける。土蔵には殺気が充満し、何かのきっかけがあれば今にも爆発しそうな勢いだ。
「ここまで言えばわかるでしょう……この男は、危険すぎる」
 だが、ここで空気の読めないこの男がやってくれた。内心泣きたいのを黄金の王気で隠しながら、ギルガメッシュはセイバーの前にいきり立つ。生か死か。最強の聖剣を前に、彼のの英雄王は私服で挑む。チャンスとばかりに、声を上げた。
「セイバー! そんなもの我が買ってやる! 良いから落ち着き、まず我の話を聞け――!」
「なっ、アーチャーよ――その言葉に嘘は無いと誓うか」
 己が聖剣を構えながら、セイバーは仇敵の姿を睨み付ける。どうやら、この黄金のサーヴァントの存在を気付いた上で無視していたらしい。彼女の手は、嘘を言えばその首を描き切ると告げていた。しかし、もはや彼女の剣には殺気のさの字すら存在せず、刃はある意味でなまくらにまで成り下がっている。
 だが、そんなことよりも、ようやく自分のターンが来たことを理解したギルガメッシュは、歓喜の表情で言葉を紡ぐ。ようやく皆が話をきいてくれた。これからは……ずっと我のターン!
「フン、そのような下賤な偽り、誰が述べるか。雑種のような輩と一緒にするな」
「いいだろう。貴方に免じ、剣を納めよう」
 その会話の応酬の裏には、各々それぞれの打算が満ちていた。両者共満足気な表情をしているのが、その良い証拠である。
 早速とばかりにギルガメッシュはセイバーへ愛を語り始め、セイバーはそんな彼を鬱陶しそうにあしらう。二人は家主たちを無視して、家の中へと帰っていく。
「爺さん、聖杯戦争って大変なんだな」
「だから僕はやりたくなかったんだよ。サーヴァントは個性が強すぎて、付き合うのも一苦労なんだ」
「……もしかして俺、押し付けられたのか?」
「……そんなことはないさ。士郎に令呪が出たのは偶然だよ、偶然」
 そんなことを話しながら、士郎は目の前にいる二体の人外を眺める。
 そして、無意味に煌く星を見上げ、予想以上に意味不明な始まりに溜息を吐いた。


 そう。遠坂凛は考える。
 己の父――遠坂時臣は、死んだ。いや、それは正確では無い。彼は遠坂凛の現実から消えただけなのだ。
 先日。逆さまに降ってきたサーヴァント――アーチャーを召喚した次の日のことである。大師父の部屋の扉の下に、鎮座するかのように挟まっている手紙を見つけてしまった。もしやと彼女が思って見てみれば、それは予想通り遠坂時臣からのものだった。
 生きているとは信じていたが、まさか並行世界の向こう側から手紙がこようとは。時臣はゼルレッチの系譜を継ぐものとして、一つ階梯を突破したらしい。偉大な父を持ったことの自負と昨日の怒りが悶々と混じり合いながらも、とりあえず凛は手紙を開けた。少しばかりの期待を胸に。
「……」
 十分後、地下室でアーチャーをサンドバックにしている遠坂凛の姿があった。
 遠坂時臣は迷い込んだその世界で魔術師――そこでは魔導師と呼ばれているらしいが――をしているらしい。あの忌々しきカレイドステッキとともに。写真が入っていたが、何故か奇抜な格好をした少女たちに囲まれた時臣の姿があった。そんな照れた顔を見せられながら、帰りは遅くなると書かれても殴っ血KILLことくらいしかできない、と凛は思う。
 ちなみにそのことを葵に電話で伝えたところ、凛と同じようなことをぼそっと呟き、切れてしまった。数週間後、あの大師父の部屋へと突撃する母の姿を、凛は幻視することができた。
「ちょ、ま……や、止めろ、凛!」
「神秘のない打撃なんてどうせ効かないでしょ……!」
 アーチャーの静止も何のその。遠坂凛は、昨日より更に膨れた怒りを己がサーヴァントにぶつけていく。時たまガンドが発動させてしまっているところが、うっかりしているといえる。
 そう。遠坂凛は考える。
 聖杯を獲ろう。聖杯の奪取という目的に絞って、聖杯戦争を渡りぬこう、と。桜との決着や、一番での勝利などもう構わない。それだけしか、この苛立ちは抑えきれない。
 その決意を胸にトドメの一撃をお見舞いする。
 ベアナックルを腹に受け、アーチャーは少し摩耗していた。痛くはないが、苦痛であった。主に精神的に。己が目的の遂行を早めることを、アーチャーは決意する。
 そんなことなど露知らず、自室に戻った凛は今夜の戦いの準備をする。そして屋敷を後にし、彼女にとっての初ステージである夜の学園へと飛び出していったのであった。
 筈、なのだが――
「……なんでこんなトコでお茶なんて飲んでるのかしら、わたし」
 そのしばらく後、ある屋敷の居間でほうじ茶を飲んでいる遠坂凛の姿があったのであった。


 その答えは、一時間くらい前に遡る。
 学園を目指し夜の街を駆けていた凛たちであったが、中心の交差点に着いたところで、唐突にアーチャーが足を止めた。
「――悪いが、凛。私はここで単独行動に移らせてもらう」
「……は、何言ってんのアンタ?」
「私は、我慢できない人らしいからな」
 凛に理解させる間もなく、アーチャーは一人で自嘲に濡れながら、話を勝手に進めていく。その脳裏に浮かんでいるのは、昨日と今日の恐ろしい記憶だった。守護者の記録を塗り替えるくらいの恐怖だった。
「今回の聖杯戦争は諦めてくれ。手伝えなくて悪いな、遠坂」
 そして、よくわからない爽やかな笑顔を凛に向け、アーチャーは踵を返す。
「そうだ、オレはその為に……待っていろ、衛宮士郎――!」
 そう呟き去っていった自分のサーヴァントを、凛はただ茫然と見ているしかできなかった。訳がわからなさすぎる。聖杯を手に入れると決意した筈なのに、十分でそれは無駄となってしまった。
 だが、そこでずっと呆けてるほど、彼女はうっかりしていなかった。アーチャーの捨て台詞に出てきた、聞き覚えのある名前。衛宮士郎。アーチャーが向かった方向には、確かに彼の家がある。
「正直、そろそろキレてもいいんじゃないの?」
 一人弱気になりながら、彼女はアーチャーの後を追っていく。何故あのサーヴァントが衛宮士郎を知っているのか。凛はそれを疑問に思いつつも、全速力でその道を駆けていった。
 そして。
 彼の屋敷の門を潜った先の光景は。
「あれ? 君、士郎だよね?」
「――は?」
 キレることすら忘れるくらい、予想外のものであった。
 そこには、白黒の二刀を両手で握りしめて呆けているアーチャーと、そんな彼に気さくに話しかけている中年の男の姿。浴衣と半纏を身に包んだその男こそ、この屋敷の主――衛宮切嗣その人であった。
「へぇー、サーヴァントだよね。ってことは、英霊になっちゃったの?」
「あ、ああ」
「背も伸びたし、カッコいい武器も持ってるし。いやー成長したね、士郎」
「そ、そうか?」
「うん、見違えたよ」
 二人――正確には、片方が一方的にではあるが――の間で、ありえない会話が続く。
 口をぽかんと開けたままそれを見ていた凛は、もう気にしたら負けだということ理解し始めていた。視界の隅にぽつんと立っていた衛宮士郎にゆっくり近づく。
「……えっと、どういうコト?」
「……俺だってわからない。あの剣を持った赤い男がいきなり塀の上から現れたと思ったら、いきなり立ち止まって、そしたら親父が呑気に近づいたていって、今に至る」
「解説ありがとう。それと、こんばんは衛宮くん。夜分遅く悪いわね」
「……やっぱ遠坂だよな。こんばんは。勘違いってことを期待したかったんだけど」
「わたしもよ。でも、これが現実。ある意味、認めたくないけどね」
 そうして、彼らは視線を渦中の二人へ向ける。あれこそ、認めたくない現実の一つである。
「しかし、本当に正義の味方になったのか。僕としてはやっぱり消防士になって欲しかったな」
「え、ああ、ごめん」
「まあ、君の人生だ。士郎がどういう道を行こうと一向に構わないよ。……消防士の士郎もやっぱり見たかったけど」
 少し拗ねながらも、切嗣はアーチャーの肩を叩く。
「うん、おっきい肩だ。頑張ったんだね、士郎」
「――切、嗣」
 戸惑いながらも、アーチャーの顔がポーカーフェイスで隠しきれないほど、崩れてきた。彼の中では、衛宮切嗣は始まりのヒトであり、最早出会う筈のないヒトなのだから。
 しかし、そんなことなど知らない士郎と凛は一人震えるアーチャーに気味悪がりながら、言葉を交わす。
「ねえ、何で消防士なの?」
「多分、マンガの影響だと思う。俺もよく言われるよ」
 もはや魔術師として繕う気すらないのか、凛と士郎は縁側に腰かけて寛いでいた。本来、戦うべきマスターたちは、切嗣とアーチャーを眺めつつ雑談を交わしている。忘れがちであるが、これは聖杯戦争である。
 一方その頃、感動空間に包まれていた筈の切嗣たちに、不穏な空気が漂ってきた。
「あれ、もしかして大学も行ってないの?」
「……」
「やっぱり。高校卒業後、家を出たんだもんね。そうだよね。そっかそっか……いや、いいんだよ。行く行かないは士郎の自由だから。――でも、仕事には就いたんだよね?」
「…………」
「え、嘘?」
 目の前に立つ養父の詰問に、アーチャーは冷や汗を流すしかなかった。自慢ではないが、ろくな経歴を持っていない。
 アーチャーから話を掘り出す度、切嗣は仏頂面になっていく。
「機嫌悪そうね、貴方のお父さん」
「だろうな。切嗣、自分がフラフラしてたせいで俺には安定志向で行けって言うから。アレじゃあ怒りもするだろ」
「ああ、だから公務員」
「消防士なのは、ただの我がままだろうけど」
 目の前の光景を観戦しつつに、士郎と凛はいまだ縁側で雑談していた。
 学園のアイドルと呼ばれている遠坂凛とこんな近くで話している状況に対し、士郎の頭には疑問が尽きない。
「そういえば、なんで遠坂がウチに来たんだ?」
「まあ、その辺りは後で話すわ。……悪いけど、少し屋敷に上がらせて貰える? わたし、何か疲れたみたい」
「ああ、いいぞ。俺も今日は疲れた。ほうじ茶でも入れるよ」
「ほうじ茶か、飲むのは久しぶりね。あ、わたし熱めでお願い」
 表の二人を放って、凛と士郎は屋敷の玄関を潜る。
 そうして、相変わらずアホな感じで聖杯戦争は開幕し、夜はますます更けていくのであった。


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