プロローグ
母なる大地の中心にあるユグドラシルから延々と北へ進み、世界の断崖と呼ばれる竜王の爪痕をいそいそと越え、立ち塞がるかのように連なるクロスボー山脈をせっせと抜け、その頂から更に北へと凍え流れるルーン川を辿ったふもとにようやく、その北竜の巣はある。
そこでは数十匹の北竜が共に生活しており、竜の中でも稀少種でもある彼らの住みかは他に存在しなかった。
――北竜。
またの名を白竜とも呼ばれる彼らは、その名の通り白く輝く身体を持っていた。別段、神聖かつ高貴な宿命がある故にということは全くなく、ただ単に北方は寒く雪が降るからである。
竜の鱗は周りの自然環境に反応して変色する。木が多ければ緑。海に近ければ青。それが、北竜の場合は雪であったということだ。辺りが銀世界になるほど積雪する地方に住んでいれば、全身が白く輝くのも無理はない。
そして、その数が少ないのもそこに神秘性はあらず、よくよく考えれば当然でのことである。
竜だって、寒いものは寒い。常に雪が降っている北端の土地に住むような竜なんて、なんらかの事情の持ち主か、もしくはよほどの気紛れか。恐らくその程度のものであり、実のところその程度のものだった。
その事情というのは、勿論のこと彼らの就いている職を所以とする。住みたくもないところに住む事情なんて、大抵がそれだろう。
北竜の仕事は大きく見ると二つあり、一つが魔女の大釜と呼ばれるクロスボー火口の守護。もう一つがトンネル工事の手伝いである。
前者はこの世界に生れ落ちた時に決められた使命のようなものであるが、後者は当たり前のように違う。
およそ百年ほど前のことである。クロスボー山脈にトンネルを作りたい、と願い出た人間たちがいた。竜とすれば、偉大なる大地を無為に削るのならば大きな問題であったものの、確かに人の身ではクロスボー越えはきついという理由には納得するしかなかった。
かくして、霊脈を傷つけないよう竜によって配慮されたルートを基にトンネルは造られることとなり、その仕事を請け負った会社の人間たちが丸ごと、北竜の巣の近所へと引っ越してきたのであった。
ちなみに、竜が人間の引っ越しを手伝ったのは、歴史上これが初めてのことである。
また余談ではあるが、この話を聞いた竜の間から我が身を移動手段として売りにするモノが現れはじめ、彼らによって創られた航空交通産業は新たなる大航海時代を世へ生み出すのであった。
さて、そうして百年前より、北竜は生活の友に人間を迎えたのだった。
このような北端の辺鄙な土地で、数百数千年。いつもと同じ仕事内容に加え、何も代わり映えのない竜しかいなかったのだから、その生活の輪に新たなる風が吹き込まれた時の衝撃は予想がつくだろう。
閉鎖的なつもりはなかったものの、土地のせいもあって周りに人間などおらず、北竜たちは初めて人と相対したのである。偉大なる竜は誰しも、人間との付き合い方を知らなかった。もし、ここで下手を打って帰らしてしまったら、また退屈な生活へと逆戻りである。北竜たちは一丸となって、三日三晩この難問について話し合った。
そして、その結論が――いつも通り、ということだった。いつも通り。我らが同胞に接するかのように、いつも通り。引っ越しをすれば手伝い、新たな竜が訪れれば盛大に歓迎し、共に笑い、働き、遊び、飲む。種族が変われども、ある程度の文明を持っているという点では同じである。そうすれば我らと共に声を上げて人間も楽しめるだろう。
つまるところ、それが人と竜の間でも同じだ、と相手に付き合い方を有無を言わさずごり押しすることで、それが事実であると刷り込ませようとしたのだが、果たしてそれは成功したのだから、世界は全くもって平和な証拠である。
人間たちにしてみれば竜の態度は予想外のものであり、北国に行くことが決まり少し冷え気味だった心が温まりだしたのも当然のことだった。
給与は良くとも、いかんせん世界の端とも言える場所。おまけに常に雪は降り、冷えない日などないというではないか。家族と新しい村の者以外に人には会えず、おまけに竜までいる。不安になるのも無理はなかった。
だが、蓋を開けてみたらどうだ。
引っ越しは手伝ってくれるし、歓迎祭は開いてくれる。村に来る時はヒトの形をとり、会ったら気軽に世間話ときた。こんな生活も悪くはないか、と思うのも一理あるだろう。
そして、その程度のことで気を良くしてしまうくらい、人間は気楽な種族であり、三日過ごせば同胞だと言わんばかりに付き合いの良い竜は、まこと呑気な種族であった。
それから、百年。
北方の村は北竜の巣の横で小規模に発展を重ねていき、周りの世から取り残されやすくはあるものの、人と竜とが生活単位で共存している稀な共同体となったのであった。
そして、そんな村人――もしくは村竜――たちがこの物語の登場人物であり。
そういう訳で、この話は北竜の巣の隣に位置する北方の村が舞台となって語られるのである。
*
さて。
そんな北方の村で、ある一つの遺跡が発見されたのが、ちょっとばかし前。具体的にいうと、三年前のことであった。
第六回目の穴掘り祭が開催されていた真っ只中に、その遺跡は発見された。そんな歴史的大発見を為したのは、トンネル掘って二十年のベテランであるトマスのおっさんでもなければ、彼と優勝の座を巡って争っていた竜のクリストファーでもなく、最下位最有力候補の称号を頂いていたトンネル工事会社の新人であった。
彼は、少し前に北方の村に赴任してきたばかりの気の優しい青年だった。
賞金に釣られて何となく出場してみたものの、周りはそんな呑気が許されないほどの凄腕ばかりで、新人の青年は半分泣きながら穴掘り集団の最後尾でせっせとトンネルを掘っていた。新人の癖に泣きながらやるものだから、当然のように方向を見失っていき。そして、もう嫌だとばかりに自棄になりながら、道を定めずその手を進め――彼は、その遺跡を見つけたのだ。
当然、北方の村の竜を含めた住人たちは驚き、慄いた。
遺跡というのはつまり神代の建築物である。当たり前のように不思議が蔓延していた時代、今では理解しきれない技術が溢れていた時代に造られたのだから、誰がどう考えても危険なのだ。北方の村のモノを除いても、このミッドガルドには六つの遺跡が存在しているが、どれもが国レベルの力によって厳重に管理されている。
村の中だけでは収まりきらない問題だったので、村人たちは当然のように中央に指示を仰ぎ、当然のように「すぐさま厳重管理」ということとなった。あれよあれよという間に北方の村で発見された遺跡は国によって管理されていき、他の六つの遺跡と同じように、いわゆるダンジョンとして生まれ変わることとなる。
遺跡というのは、その名の通り神代の遺物だ。そこには今では生み出すことのできない知識や技術、力が溢れている。それに比例するかのような危険も満ちているが、その財を放置しておくにはあまりに惜しい。
そう考えた国は、できる限りの手を遺跡に加えてシステマチックなダンジョンとして新たに甦らせるようにしたのである。
ハイリスク・ハイリターンを売りにし、国の管理下のもとで遺跡を解放し、底に眠るモノを回収してくる人材を募ったのである。遺跡に眠るモノと引き換えに、様々な富と知を与えることを約束して。つまりは、国公認の娯楽遊戯施設、ギャンブル場のようなものである。もっとも、そこにかけるのは己が命なのであるが。
果たして、国の願いは叶えられた。力と夢にまみれた者たちが迷宮へと潜り始めたのである。彼らは潜行士などと呼ばれ、皆の期待と嘲笑を密かに浴びながらも、今日も一心不乱に日の当らない地下へと向かっていた。
そして、新たに世界に登場した遺跡。それもまた国の手によって管理され、潜行士たちの目指すべき試練の場となったのであった。あんまりにも北の大地に位置しすぎて訪れる人の数は少ないのだが。
とまあ。
こんな感じで始まったミッドガルド七番目のダンジョン「ドワーフの鍛冶場」は、北方の村唯一にして最大かつ微妙な観光名所となったのである。