――――並行世界。
それは、万華鏡の如き世界。無限に連なる合わせ鏡。
例えば、一人の男がいるとする。
ある世界では、彼は右利きであった。それが、ある世界では、左利きになっていた。また別の世界では、両手が利き腕であり、また異なる世界では、腕自体を失っていた。更には、性別が女になっていたり、存在そのものが無い世界すら存在した。
そう。人の可能性には数えきれない程の数があり、その選択にも数えきれない程の数がある。
一つが二つ。二つが四つ。次から次へと枝分かれ、メビウスの輪のように決して終わりが訪れず。たった一つを選んでも、些細なことで道が増え、出口に辿り付くことはない。二つを同時に選ぶのや、戻ることすら許されない。
それが、無限。それが、並行。
その交わることの無い世界等に、体現出来ないモノは無い。
故に。
――ある男が、他の世界よりちょっとばかし……いや、かなりアホだった。
そんな世界も存在するのである。
恋する金ピカ
時は四月。季節は春。
あの虚しき聖杯戦争から、既に二ヶ月が経っていた。
山あり谷あり色々あって、何人か外人のような人外が住み着き、冬木は少し変わっていった。
争いを止め、武器を収める。夜の闇に埋没しながら、戦うことしかしなかった彼らは、陽の当たる日常へと飛び出していったのだ。
そして今日も、マウント深山商店街を一人歩く影がある。
此度の聖杯戦争を別の意味で凄まじく変えた、ある一騎のサーヴァント。黄金のアーチャー、ギルガメッシュ。古代メソポタミアに君臨し、この世全ての財を手に入れた、人類最古の英雄王。
三分の二が神、残りが人というアンバランスに半神半人な彼は、住宅街の方へと進んでいた。我が王だと言わんばかりの金色に微かにピンクを塗した、そんな
王気を纏わせながら、意気揚々と歩いていく。何故ピンクなのか。それはもちろん、ラヴ、ラヴ、ラヴ。恋である。
――そう、ギルガメッシュは、恋をしていた。
そのお相手は、アルトリアことセイバーさん。遠坂凛に仕えるサーヴァントである。
十年前に行われた第四回聖杯戦争で、ギルガメッシュは彼女に一目惚れをした。そりゃあもう、瞳と瞳が合って、コンマ一秒。
「喜べ。貴様は我の妻にふ――」
即効で斬られた。おまけにエクスカリバーで吹き飛ばされた。
しかし、それでも彼は、英雄の王ギルガメッシュ。この程度ではへこたれない。元より、女と食事に出し惜しみなどしなかった。たとえ相手がかの騎士王であろうとも、気の向くまま奪うだけ。
だが、そうは問屋が卸さない。
幾度も戦いに戦ったにも関わらず、セイバーをモノにするその後一歩というところで、聖杯の破壊。ギルガメッシュが聖杯の泥を浴びて苦しんでいる間に、セイバーは消えてしまった。
正直、泣きそうになった。不老不死の薬を蛇に掠め取られた時くらい、泣きそうになった。思い出すと今でも目が滲む。
「――――いや、アレは我が与えたのだったな」
蛇のことくらいは、そう思っていないとやっていられなかった。
そして、一目惚れから約十年。再び冬木で聖杯戦争が起こり、二人は何を間違ったのか、再会してしまったのであった――。
「さて、今日はどうするか」
いつもの如く、ギルガメッシュは手土産を持って衛宮家に向かっていた。これまで何度も訪れただけあって、道順は体が覚えている。半分上の空で歩きながら、セイバーを連れ出す手段を思案する。
といっても、何も浮かばなかった。仕方が無いので、成り行きに任せることにするギルガメッシュ。王様は器が広いのだ。
一方、肝心の誘う内容については既に考えてあった。いや、正確には考えてもらってある、だ。
ギルガメッシュは、今までの計画が全て失敗したことの理由が、自分が男であるからだ、ということに気付いた。
確かに彼は、自己が認めるくらい傍若無人な男であった。他人について悩む。生前は、そんなことを考えようとすら思わない。わからないのも当然といえた。
そこで同じ女ということで、サーヴァント仲間であるライダーに聞いてみたところ、彼女曰く――「幸い資金は沢山あるのですから、それを活用するのが良いのでは。例えば食べ物で釣るとか」とのことだった。
とはいえ、これは既に実行済み。セイバーの頼みで、衛宮家に食費援助をし、セイバーのお願いで、彼女のマスターに経済援助をし、セイバーの要求で、毎週彼女に美味しい物を届けていた。尽くす男、ギルガメッシュ。とはいえ、彼女の好物を聞いているあたりが、彼らしかったが。
それならばと別の案を聞いてみたところ、出た意見はセイバーのライオン好きな点を狙うもの。
「動物園でも行けば、実際に見られるでしょう」
それがライダーの出した第二案だった。
ライダーの特技。それは、乗馬、軽業、ストーカー。主の命を受け、遠坂凛とセイバーを、衛宮士郎に近づく女を監視する。
ならば、そんな彼女の情報に間違いなどある筈が無い。
そういう訳で、勝利を確信したギルガメッシュは、セイバーの下へ向かっているのであった。
屋敷までの道を歩きながら、それにしても――とギルガメッシュは思う。
「ここまで我を待たせるとはな。騎士王も罪作りな女だ」
そう、再会から二ヶ月。長きに亘る時間だった。
会っては求婚し、求婚し、求婚し、求婚し、求婚する。
それを幾度も繰り返し、そして幾度も死に掛けた。思いを載せた己が財を飛ばしても、それを尽く弾かれ、かの聖剣で切り伏せられた。聖杯戦争が終わっても、それは未だ変わらない。むしろ、宝具が使えないのにも関わらず、今まで以上に酷くなっている。
「大体、あなたの鎧は派手すぎる。王の鎧に華美な装飾など必要ありません」
「いい加減にしなさい。私とあなたが相容れることなど、シロウに誓ってもありえません」
「何なんですか、前回のアレは! あんな雑な菓子を送るとは、あなたは私を馬鹿にしているのですか」
「――っ。何故、凛はいつも、私の前でっ……シロウと、こう、いちゃつくのです!!」
罵詈雑言につぐ罵詈雑言。それを浴びせながら、聖剣による一撃。中にはギルガメッシュには関係の無いものまで含まれている。
しかしそれでも。それでも、彼は諦めなかった。諦める、ということを知らなかった。
そして遂に、その思いが報われる時が来たのだ。
ライダーは言った。「そうですね…………次の日曜日。この日なら、確実に成功するでしょう。同じ女の私が言うのですから、間違いはありません」と。
そう、英霊であるサーヴァント二人が組んだのだ。そして相手はたったの一人。単純に考えて、セイバーに勝利の文字は無い。己等に敗北の余地など無い。だから。
「――――セイバーよ。結婚式のプラン、今のうちに考えておくがよい」
結構、想像力豊かな英雄王だった。
交差点を抜けて少し進むと、純和風建築の住宅が見えてきた。
いつものように門を潜り、そしてカラン、と音が鳴る。ギルガメッシュが入る時はいつもこうだった。セイバーが言うには、衛宮家に取り付けられているベルでギルガメッシュのみに反応する、ということだそうだ。
「は、雑種風情が……思いの外、良い仕事ををする」
内心、ちょっと嬉しかったギルガメッシュ。英雄王は特別扱いに弱かった。
――ちなみに余談ではあるが、それは当然嘘である。
実際は、衛宮切嗣による結界。
敵意を持った侵入者に反応するそれは、魔術師であり、優男であった彼を守るために作られた。
そう、女を取られた
哀しき男達の復讐は恐ろしかったのだった……。
玄関のドアを開け、震える声で静かに叫ぶ。少し声が裏返っていることには、気付いていない。今日という日に懸けている彼には、そんな余裕など毛頭無かった。
「わざわざ出向いてやったぞ、セイバー」
反応は無い。
もしや道場の方にいるのか。
そう思い外へ引き返そうとしたギルガメッシュだったが、事を起こす前に廊下から藤村大河が姿を現した。
「あれー、ギルガメッシュさん? どうしたの――――って」
「藤村か。セイバーはどうした」
「そ、それはっ……! 江戸前屋の特製どら焼きセットじゃないのよぅ!」
勿論、聞いていなかった。
それも、当然。ギルガメッシュが手にする包みは、江戸前屋のどら焼きセット。どら焼き十個と、おまけにたい焼き二つ。この二千円の特製セットを用意するあたり、ギルガメッシュの気合の入れようも窺える。元よりそのどら焼きは、お手ごろ価格で餡子がたっぷり、老若男女全ての人に愛されている。
「答えろ。セイバーは、何処にいる?」
そのどら焼きに目を奪われている大河を見て、セイバーの喜ぶ姿を妄想しながら、ギルガメッシュはもう一度問うた。己の立てた、綿密かつ完璧な計画。それを実行に移すために。そして、その行く末にある未来をこの手に掴むために。動物園へいざ行かん――。
「えー、セイバーちゃん? それなら、士郎と遠坂さんと一緒に朝から出掛けているけど。前から動物園に行くっていう計画立ててたのよー。ほんとはわたしも行きたかったんだけど、今日は午後から部活があるのよね」
「……」
だから今日のお昼は士郎特製の重箱弁当なのよー、と言いながらどら焼きを奪い、彼女は居間に戻っていく。
「…………」
*
――――並行世界。
それは、万華鏡の如き世界。無限に連なる合わせ鏡。
故に。
――ライダーさんが、他の世界よりちょっとばかし……いや、かなり性格が悪くなっている。
そんな世界も存在するのである。
そう。こんな日常。こんな毎日。
並行世界の冬木の街は、今日も今日とて平和である。