晴れときどき曇りのち晴れ


 イリヤスフィールの朝は早い。
 それはちびっ娘だからという理由もあるがそれだけでなく、彼女にとって、ただでさえ目覚めの早い衛宮士郎を起こすことが、今日一日の始まりを告げる儀式となっているからだ。
 とはいえ、大抵は士郎自身に先を越されてしまうのであるが。
 それでも、朝食の支度をしている士郎とするおはようの挨拶は、イリヤの頬を自然と緩ませてしまうものだった。

 朝の慌ただしい食事を終えると、士郎達はそれぞれ学校へ行ってしまう。
 元より聖杯として生きてきたイリヤには、学校というものにはもちろん無縁である。知識としてその存在は知っていたが、別段行く必要もなかったし、行きたいとも思わなかった。それは役目を終えた今でも変わらない。ただ、士郎と同じ時間を過ごせるのは魅力的だと思わなくもなかった。

 誰も居なくなった後、イリヤは衛宮家を出る。
 今の生活になれた彼女にとって、一人きりの家に居るのは寂しかった。しかし、それ以上に深刻な問題があったのだ。
 昼食である。
 イリヤスフィールは料理が出来ない。なにせ、毎日おいしい衛宮士郎の御飯を食べられるのだ。自分で作ろうなど考えたこともなかった。
 それでもある時、それとなく士郎に習おうとしたが、「何だ、イリヤ。お腹すいたのか」と何か勘違いしたことを言って、自分で勝手に作ってしまった。士郎のエプロン姿を見るのも士郎の料理を食べるのも好きだったので訂正はしなかったが、さすがの彼女もその鈍感ぶりに少し呆れてしまったものだ。

 ともかく、衛宮家を出たイリヤスフィールはのんびりと道を歩いていく。
 いつもなら藤村の家へ帰り雷画とお茶でもするのだが、今日は週に一度、冬木郊外の森にあるアインツベルンの城に行く日だった。
 聖杯戦争が終わってから藤村家で暮らしているイリヤだが、戦争中は其処で生活していた。
 その時、一緒に住んでいたメイド達――セラとリーゼリットに会いに行くのだ。彼女達は、未だ其処で暮らしていた。

 衛宮家を出て、優に二時間。イリヤスフィールはようやくアインツベルンの城に辿り着いた。
 彼女の小さな体では、此処に来るまで多くの体力を消費してしまった。しかしそれでも、一週間振りにセラとリーゼリットに会えるのだ。辛くはあったが、苦ではなかった。
 アインツベルンの城では、二人と一緒に昼食を食べたり、互いの近況を話したりなどして時間を過ごす。
 自分の話を聞いてセラとリーゼリットが喜ぶのを見ると、イリヤにも自然と笑顔が浮かんだ。

 そして夕暮れ時、士郎達が学校を終える頃、イリヤは城を出る。
 夕飯前には衛宮家に帰る。それが、士郎との約束だった。
 元々、士郎の作った食事前には必ず間に合うようにするつもりだったのだから、これには問題は無かった。むしろ自分を心配する士郎を可愛く、そして何故か不思議と嬉しく思ったものだ。
 家に着いた時のただいまだけであれ程の笑顔を見せる彼が、イリヤとってはとても温かかった。
 ただ「まるで母親と子供の約束ね」なんて凛に笑われたことだけは、少し腹が立った。 

 ちなみにその帰り道、イリヤスフィールは大抵タクシーで帰る。
 彼女自身は歩きでもいいのだが、それではただでさえ少ない城での時間がさらに短くなってしまう。
 大河などは、「それなら行きもタクシーを使えばいいじゃないのよ」と言っているが、ただでさえ藤村家には日々世話になっているのだ。さすがの悪魔っ娘もそんな真似は出来ない。せいぜい帰りのタクシー代をちょっとばかし虎の財布から抜き取るぐらいだった。ちなみにタイガーはそれに気付きもしていない。
 彼女にしてみたら、今までの借金を取り返しているだけなのだが、本人にも返済を請求しているあたりその悪魔振りが窺えた。まあそれは余談である。
 また、アインツベルンから持ってきた金もあったが、それは城で暮らす二人の為に手を付けなかった。

 イリヤが衛宮家に着く頃には、既に大河を除く全員が揃っている。ちなみにこの全員とは当然士郎と桜、そして遠坂凛である。
 凛は朝の食事には来ないものの、二日に一度は夕食を食べに来る。彼女曰く、習慣らしい。
 当然そんなものは嘘なのであるが、前にそれを追及したところ、イリヤは本気でガンドを撃たれた。しかし、それでもからかうのを止めないのが、悪魔っ娘たる所以だった。
 一方の桜であるが、彼女とイリヤスフィールは表面上仲が良かった。
 イリヤにしてみれば、間桐桜は嫌いな人格だという訳でもない。それでもしかし自分の贋作のような存在である桜を好きになれないのは事実である。ただ、彼女の兄である慎二を殺した責もあった。だから、桜が自分から言わない限り、例えどんなことがあっても士郎に桜のことを言わないでいるつもりだった。

 夕食の席は、朝以上に騒がしい食卓となる。
 大河は一人でがむしゃらに食べ、イリヤと凛の間では席に着いたときから、口喧嘩の応酬が始まる。士郎はそれを毎回止めながらも、逆に引き込まれそうになり、それを桜が未然に防ぐ。
 ここ数ヶ月、そしてイリヤにとってはずっと、この衛宮家で見られた光景である。
 それでも彼女にはそれが毎回違って見え、毎回違う笑顔がでる光景だった。

 夜になると、イリヤスフィールは大河と共に、藤村家へ戻る。
 イリヤ自身は衛宮家に泊まりたいところだったが、それは出来なかった。
 二ヶ月程前、彼女が士郎の布団に潜り込んだところ、次の日それを見た虎が暴走し、士郎の部屋が半壊してしまったのだ。しかしそれ以上に、大河の後ろでじっと睨み付けてくる桜の視線を浴びるのは、さすがのイリヤも耐え辛かった。
 だが、藤村家が嫌なのかと聞かれたら、イリヤの答えはノーである。
 雷画や藤村組の皆も自分に良くしてくれる。大河にしても、煩くはあるが嫌いではなく、むしろその人柄は好意に値する。そうイリヤは思っていたし。
 士郎や凛に対しての不満を言い合ってその絆は固くなり、オヤツやテレビのチャンネルや風呂の順番など幾度の奪い合いの果てに、その絆は一層脆くなる。それでも最後は互いに笑い合う。
 実際、そんな不思議な関係だった。

 そして一日の終わり。
 イリヤスフィールはいつも布団の中で考える。
 自分の命は一体いつまで持つのか。一体いつまで、こうして生きられるのか。いつまで、笑えるのか。
 その正確な日数は、彼女自身にもわからない。きっとその日が近づくまで、はっきりとはわからないだろう。
 だがそれでも、あと数回しか、あの白く輝く雪の降る冬に会うことは出来ない筈だ。
 そして、それがわかっているからこそ、自分は笑う。
 朝、士郎の顔を見て笑い、昼、セラやリーゼリットと話して笑う。夕方、凛や桜をからかって笑い、夜、大河と喧嘩をして笑う。
 そしてその日の最後、この布団の中で笑う。
 温かい温もりにつつまれて、今日一日を振り返りイリヤスフィールは笑うのだ。
 ――――今、わたしは生きている。
 その思いを、胸にかみしめながら。


[SS]